今朝も暗い内から起き出した。「ええっ~?外泊やてぇ~?」や。娘でなくてよかったで。
息子やったぞ。何でも文化祭の「星林祭」の出し物の準備で同級生宅に泊まったという。
38年前やけど「身に憶えがない、こともない」。楽しい思い出になるには違いないから
許したろ。例によって西宮市往復である。爽やかさに欠けるが、朝焼けが綺麗やった。
1830、ダイワロイネットホテル和歌山4Fの講師控室に代議士の許しを得て、秘書の
方に入れてもらった。今は吉本興業の社長となった大崎洋氏に30年ぶりに面会した。
「30年前に上海へご一緒させていただきました」「う~ん、上海はもう400回ぐらいは
行ってるからな~でも、行き始めた頃やな~」「二酸化炭素の多い街でした~」やった。
1982年3月、井上陽水が唄う「なぜか上海」に何故か?行きたくて勝手に卒業旅行で
某ツアーに単独で参加した。そこには吉本や松竹の若手社員や、中国学科の学生が
多く居た。夜遅くまで、体育館みたいなロビーであれやこれやと語り合ったもんやった。
「二浪の優四つ」「一留の優七つ」から始まって「あの痰壺の中、見てみたあ?」やった。
「遠い日の 人民服の お土産や」
吉本も二本社制かなあ?いただいた名刺によると、難波と新宿の住所が並んでるぞ。
「政界」「官界」「財界」「芸能界」良くも悪くも「表裏一体」で「明暗」あり。ヤクザな世界?