三連休前の金曜夜の日付変更線を越えたところ、この世の中に、こんなに幸せな素敵な
自由な時間があったんかいなあ?と自問自答してる。今宵同席した諸兄は「おい!てつ!
そえはそえで、ええんやでえー!」と生粋の和歌山弁であれやこれやをご教授してくれる。
「血は水よりも濃い」ではないんやろけど、この「同じ水を飲んだ面々」ちゅうのんは、どう
位置付けしたらええんやろ?そもそもそういう観点から逸脱してるんとちゃうんとちゃうん?
こうだ、そうだ、ああだ、どうだ、ちゅうわりには政治的な意図は皆無やから愛おしいんやな。
どこか「政治的なるもの」が有りがちやけど、「利害得失」になってしまうのが、どうも好かん。
「利害得失」は、その世界で片づけて欲しい。それが「予算執行」となってしまうとアカンやろ。
民と官、ペイヤーとイーターとなってしまってるのが問題なんやろなあ。なんやようわからん
国に税金払うんやったら、話し聞いてくれる銀行に金利払う方がええんとちゃうんかいなあ?
「金利やしどうやこうやで税金は」