手元の三省堂"THE NEW CROWN"には国、国民、いなか、土地等の訳が載っている。
面倒くさいのできょうはいちいち見ないが、何故かCOUNTRYまみれの今日この頃である。
本日クラブチャンピオンシップ予選、長らくこどもらの運動会と重なってたため参加できず、
久々か初めてかだった。オールスクラッチで9組36名のうち上位16名が通過、その田舎
倶楽部の最高峰を決めるアマチュアの公式競技、全く参加するつもりなく、準備も無しは、
あるまじきことであり、恥ずべきことであったということを思い知らされたような次第である。
ある意味で快適なゴルフの後の食事は家族とと思ってたが、他三名は夕飯時に和歌山に
居らず、やむなく自転車に乗り換えJR和駅前の王将でひとりギョビーを敢行したのだった。
携行した日経11面に「南方熊楠①」の記事、「おっ?田辺は昨日行ったぞ」とひとりごちた。
「無位無官、在野を貫いた老学者」とある、ラー油まみれの餃子をこぼしそうになったでえ。
同窓会名簿の和歌山中学明治16年卒業5名の中にその名前を確認、終の棲家は田辺?
下手くそだったけど、よくやった自分へのご褒美にお気に入りの「ブルーノート」へ行った。
いつ行っても客が居ないマスターの決まり文句は「よう、来てくれた」だ、何かグッとくるな。
「ロン・カーターのペッグレック、パラゴンで聴かして」今は亡き伯父さんにねだるような気分、
「キースジャレットのカントリーや、きょうはこれ聴きたいんやー」と注文はエスカレートする、
1時間経ってもそれ以上経っても客は来ない。「明日仕事なんで」切上げるのが勿体無い。