昨夜レイトショウで「幸せのちから」を観てきた。原題は"the PURSUIT of HAPPYNESS"
わざと「Y」と「I」を間違えてたり示唆に富んでるが、こちらは邦題のほうがしっくりくる感じだ。
米国西海岸サンフランシスコの80年代が舞台で、米国夢物語なのだけれど、人種、学歴、
子育て、税金、政治、宗教などなどの社会問題が織り込まれ格差社会を目の当たりにする。
米国独立宣言起草者でもある第3代米国大統領トマスジェファソンの幸福追求権を主人公
が口ずさみ、辛酸をなめながらも成り上がっていく様は圧巻である。どこか「わらしべ長者」
を思い出させたりもするが、そのエネルギーの元は強い親子の絆だというところに涙した。
しがないセールスマンには涙はないがそんなに幸せでもない。ボトムが駅のトイレでの涙、
トップが正式採用告知の涙。ちからが漲って幸せをつかもうとするときそれを成しえたとき
の男は涙はもうたまらん。「男は泣いたらあかん」のだが泣いてもいいときもあるちゅうこと。
手元のポケット六法で日本国憲法をひいてみた。第13条に幸福追求権が、第25条には
生存権が明記されている。「権利の上に眠る者は保護されない」とか「権利のあるところに
救済がある」とかどこかで読みかじった言葉が浮かぶ。女の涙は兎も角、男の涙もいい。